soeda

春の冷たい雨で桜の花が落ち、街に街宣車の声が鳴り響く季節がやってきた。第十八回統一地方選挙である。
四月十二日に、道県知事、道府県議選と政令指定都市の市長及び市議選、二十六日に一般市長、町村長選、東京23区議会、町村議会選が行われる。
横浜市長の経験のある中田宏は、地方分権の必要性を強く訴え続けてきた。
例えば、待機児童の問題――。
「保育園が足りなくとも、地方の判断で増やすことができない。基準以上の庭面積が必要だったり、保育士を何人抱えていなければならないなど、様々な国の基準がある。しかし、都会では庭を確保するのが難しい。それならば安全を確保した上でビルの屋上を利用すればいい。駅前の便利な場所に保育園があれば、母親は助かるだろう。地方では保育士が確保できないことがある。ならば、シャッターの降りた商店街を利用。保育士ではなく、時間のある地域のおばあちゃんたちに面倒をみてもらう。彼女たちは子育てを良く知っている。その地方のことを良く分かっているのは、地元の人間である。にも関わらず国が一律、基準を決めるのは無理がある」
日本の地方行政の形は、無理があると中田は度々指摘してきた。
「かつては国全体が貧しかった。国全体が富むことをまず目標として、国から地方に分配する。発展途上の国においては常道の手法である。衛生管理を例に取ると、食べるのに必死だった時代は全国一律に国が衛生管理をすることは意義があった。日本は発展途上から脱皮したにも関わらず、根本的な統治機構の改革がなされなかった。そのうちに発展した国から、成熟した国、そして今、すたれた国になりつつある。もはや国を頼ることはできない。『自分たちでやりなさい』という消極的意味での分権をやらざるえない状況になってしまった」毎年、法改正が行われて、少しずつ地方分権は進んでいる。
しかし――。
「それまでは許可だったものを届け出制にしましょう、という程度。そこに国と地方の関係を今後どうするのか、地方をどう活性化するかという大局的な視点がない。意志が見えない」つまり、地方分権を行い、地方が自立した社会を作っていくという意志が感じられず、場当たり的なのだ。

地方分権に積極的か、そうでないか――それが唯一の踏み絵となる

そんな中、今回の統一地方選挙はどのような意味があるのか。そして、有権者はどのような視点で候補者を選べばいいのか――。
すると――。
「統一といっても、単に日程を合わせているだけで、全体にまたがる争点があるわけではない」と前置きした上で、選ぶのが難しいのは事実だと認めた。
「ぼくは政治家と付き合いがあり、どの候補者が見識があるのかという情報を持っているので選ぶことが出来る。では、それぞれの地域で、投票する候補をどう選ぶかと訊ねられると正直、困る」
県議会議員選挙、政令指定都市の市議会選挙となると、候補者の数は大量になる。その一人一人の政策を吟味して最良と思われる候補者に投票することは大変だ。
「都道府県、市町村ともに候補者が訴えるべきなのは、地方分権に立脚した政策論。国にいちいち振り付けをしてもらって地方が動くのではなく、自分たちに権限を寄こせと主張するのが当然。一方、やる気のない候補者にとっては国が全ての基準を作ってくれる方が楽。何をしても自分の責任にならないから。地方分権に積極的かどうかは候補者を選ぶ観点になるだろう」
そして、いずれ国会議員だけでなく地方議会についても、議員総数を削減すべきだと考えている。
「そもそも公職選挙法を変えて、それぞれの議会のあり方を地方自治の原点として選択していけるようにした方がいい。定数を絞って小選挙区として、三、四人の中から政策を見比べて選んでいくという議会があっていい。物事をゼネラルに見られる議員を選んで、”議院内閣制”のように議員の中から市長を選ぶという制度もあるだろう。住民の中からボランティアの議員が議論して決めていくという手もある。いずれにせよ、一番小さな自治体である東京都青ヶ島村から最大の政令指定都市の横浜市まで、全て同じ制度ということ自体がナンセンス」
煩雑で問題が多い今回の選挙。それでも、一部の利益団体、組織に頼らない、志のある政治家を一人でも多く当選させなければならない。

 

□□□□□□□□□□

構成・田崎 健太 (ノンフィクション作家 http://www.liberdade.com)