先日、ISIL(イスラム国)に拘束されていた、湯川遙菜氏と後藤健二氏が殺害された。
「まずはお二人に哀悼の意を表したい」
中田宏は人命を奪う、テロリズムに対する怒りを感じている。
そして、現時点で情報が限られていると前置きをした上で今回の事件をこう分析する。
ISILの成り立ちについては色々と歴史的背景があることは理解している。ただ、現在の彼らの行動を鑑みると、ISILは一般的なイスラム教徒とは別の、カルト的、狂信的集団だと定義せざるを得ない。当然のことではあるが、イスラム教が広い意味での国際社会、あるいはアメリカに近い価値観の国々という狭い意味での国際社会のいずれとも相容れないわけではない。東南アジアにもイスラム国はある。私が横浜市長時代にも、こうした国の人たちと国際会議で席を伴にし、意見を交換してきた」
今回の論点の一つは「自己責任」である。
「国家は国民を守る義務があるというのが大前提。ただ、一般論を言うならば、興味本位で紛争地帯に足を踏み入れる人間については自己責任を問うべき。では、ジャーナリストはどうか。報道という任務において紛争地帯に入った場合、自己責任とは言いきれないと考えられる。紛争地帯で本当に何が起こっているのか、どうすべきなのか思考するには材料、つまり情報が必要である。情報を得るためには危険地帯に踏み込む必要がある。それが余りに無謀な場合ならばともかく、原則的には国家は保護のために動くべきだろう」
好奇心は人間を進化させてきた。そして、ジャーナリストという種の人間は好奇心の塊である。世界で何が起こっているのか、知りたいという欲望で行動するものだ。そしてこのジャーナリストの好奇心が国民の〝知る〟権利を確保してきた。
ただし、この件は少々事情が複雑だ――。
流れを整理しておこう。
昨年八月中旬、民間軍事会社の経営者、湯川氏がシリアで行方不明になる。
十月二十四日、「湯川さんを救出に向かう」と後藤氏がトルコ経由でシリアに入国。翌25日にISILの支配地域に入った後、拘束されたとみられる。
今年一月二十日「ISIL」による二人の殺害予告動画を日本政府がインターネット上で確認。
一月二十四日、湯川氏が殺害されたとみられる画像が公開。
二月一日、後藤氏が殺害されたとみられる映像が公開。
民間軍事会社とは、紛争地帯の情報を金に換えるのが仕事と理解していい(湯川氏の会社が実際に機能していたのかどうかは別として)。そして後藤さんがシリアに入国したのは、湯川さんを救出するためだったようだ。
我々が知る限りの情報では、つまり、ジャーナリストが紛争地帯を取材中に拘束されたのではない。

日本はアメリカと一緒に行動できることもあればできない部分もある。一線をどこで引くか――

シリア難民支援議員連盟

「民間軍事会社というものがどういうものなのか、私には分からない。ただ、紛争地帯で情報を得ることで高い対価を得ることを目的としていたのならば、かなり高い自己責任を求められる存在であることは間違いない。その人間を救出しようとした人も同様の意味になってしまう。もっとも、後藤さんには救出するという名目で取材をするつもりもあったかもしれない。もちろん、それでも救える人間は救うという日本国の大前提は変わらないが」
国際政治の中では、自分の国の立ち位置をはっきりさせることが重要だ。その上で他国とどこまで行動を共にするか、そしてどこで一線を引くか――という判断が重要となってくる。
特にキリスト教国ではない日本は、イスラム諸国との緩衝地帯となりえる可能性がある。
「日本がアメリカなどと一緒に出来ることもあれば、できないこともある。私は直接的な軍事行動には関わるべきではないと考える。人道支援や民政支援を中心にやっていくべき」
中田は超党派によるシリアの難民支援議連(会長・小池百合子氏)の事務局長を務めていた。この議連は一昨年の三月に設立。昨年七月、難民のための学校建設を目的に、クラウドファンディングを使って一千万円を目標とした寄付金の募集を開始した。この寄付金は集まり、十月にシリア国境から五キロに位置する、トルコのハタイ県ヤイラダー市にシリア難民のための「さくら小学校」が開校させた。
「議連を設立した段階でシリアからトルコへの難民は二五万人を越えていた。トルコの母国語はトルコ語、一方、シリア人はアラビア語。シリア人難民の子どもは言葉の壁からほとんど教育を受けることができなかった。さくら小学校はそのための学校だった」
議連設立時、中田は事務局長を引き受けることになった。そして、自分を含めて、日本でのシリア人難民に対する無知を思い知った。
「ISILのような敵意のない無辜な人間を殺めるカルト集団に、拡大解釈はつきものだ。学校の設立でさえも、彼らにとっては敵対行動とみなされ、攻撃の口実となり得る」
日本が国際社会の中で生きていく上で、紛争に全く関わらないという選択肢はない――。
電車の中で周りの乗客に対して一方的に喧嘩をしかけてくる人がいるとする。自分は関わりたくないから、無視を決め込めば、騒動に巻き込まれないかもしれない。しかし、それは、モラルとしてだけでなく、次なる同様の問題を生じさせることになるだろう」
世界の中での日本の立ち位置、日本人としてのどのような行動をするべきなのか――今一度、冷静に考えることが必要だ。

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構成・田崎 健太 (ノンフィクション作家 http://www.liberdade.com)