20140708党機関紙

ノンフィクション作家の立花隆は、政治家と選挙についてこう書いている。

〈代議士の最大の関心事は、不幸にして国政ではなく、次の選挙である。故川島正次郎のいったごとく、〝サルは木から落ちてもサルだが、代議士は選挙で落ちたらタダの人〟になってしまうからだ〉(『巨悪VS言論』)

昨年十二月、衆議院総選挙で中田宏は落選し、〝タダの人〟となった。
とはいえ、以前から中田は「議員でなければ政治家ではないというのは間違い。議員でないから出来ることがある」と言ってきた。
中田は今回の総選挙の敗因をどう見ているのか、そして、議員でなくなった今、どう動くのか――訊いてみた

――昨年の総選挙で何度か街頭演説を聴いた。最初から演説では「次世代の党」という党名にほとんど触れなかった。あれは故意的だったのか?

中田 次世代の党という政党名で票を獲ることは出来ない、今回の選挙は個人戦だと判断した。これは次世代の党だけでなく、今回は他の野党も似たり寄ったり。以前、私は全く逆の経験がある。「日本新党」という党だったからこそ当選できた(九三年の衆議院選挙で中田は日本新党の〝無名〟新人として出馬、当選した)。今回の選挙で党名で当選できたのは自民党だけだっただろう。

――あなたが出馬した「神奈川十八区」に、「維新の党」公認の立候補者がいたことに驚いた。あなたはかつて「(旧)日本維新の会」の準幹部だった。その(旧)維新の会から分党した維新の党が候補者を立てるというのは非常識ではないか。

中田 非常識……非常識なのはその通り。そのため、異議を唱えた維新の党の県議会議員は離党した。

――維新の党の候補者が出馬することはいつ知ったのか?

中田 解散してから。ただ、その時点では維新の党が候補者を立てるということが、選挙結果にどう影響するかは分からなかった。正直、それでも勝つしかないと考えていた。ただ、二年前の総選挙で、(旧)維新の会とみんなの党の第三極と言われる党の票が割れて、結果として自民党が大勝した。今回はその二の舞を避けねばと思っていたのだが……。

神奈川十八区の得票数は以下の通りだった。

山際大志郎(自民党) 八六八六九票
中田宏(次世代)   五九一三八票
北村造(維新)    二六六九一票
塩田儀夫(共産)   二四六一六票
樋高剛(生活)    二〇一〇五票

見事に野党の票が割れ、自民党の山際が漁夫の利を占める結果となった。

――あなたは前横浜市長という印象がまだ強い。それでも川崎市の神奈川十八区を選んだのは、維新の党の共同代表である江田憲司氏の選挙区、神奈川八区を避けたと理解している。

中田 横浜市長に立候補する前、私は神奈川八区の衆議院議員だった。(二〇〇二年の)選挙区の区割り変更で、当時の八区は現八区と現十八区の二つに分かれた。私の選択肢としては、八区か十八区かのどちらかだろう。八区にはみんなの党(当時)の江田さんがいる。そのため十八区に回るということで、昨年の秋に(旧)維新の会が公認した。

――つまり、(旧)維新の会は、その時点からみんなの党を含めた野党再編を睨んでいた。だからこそ、江田氏のいる八区を敢えて外したと。

中田 そう考えて貰っていい。

――ジャーナリストしては全く評価していないが、読売新聞の渡邊恒雄氏は『渡邊恒雄回顧録』の中で、大野伴睦と河野一郎の関係を例にとって面白いことを書いている。

〈僕は日本の戦後史の流れを見たとき、イデオロギーや外交戦略といった政策は、必ずしも絶対的なものではなく、人間の権力闘争のなかでの、憎悪、嫉妬、そしてコンプレックスといったもののほうが、大きく作用してきたと思うんだ〉

旧神奈川八区の歴史を振り返ると、二〇〇〇年の総選挙であなたは自民党から出馬した江田憲司氏を破って当選した。そしてあなたが横浜市長に立候補して空席となった補欠選挙で江田氏が当選。ところが、その翌年、二〇〇三年の総選挙で江田氏は、貴方が支援した民主党の岩國哲人氏に敗れた。今回、維新の党があなたに対抗候補をぶつけてきたのは、渡邊恒雄氏の言葉を借りると、代表である江田氏の(中田に対する)個人的な「憎悪」あったのではないか?

中田 私に聞くことではないでしょう。先方に聞かないと分からない(苦笑い)。

――本来、江田氏と貴方は政策的には遠くない。いや、他の議員と比較すればかなり近い。手を結ぶのが自然に思われる。

中田 ぼくの側で拒否したことはない。政治には憎悪や怨念がつきものだというのは理解している。ただ、それを乗り越えて行かなければ前に進まない。自分はそういう行動をとってきたつもりだ。

次世代の党は〝若返り〟をする前に総選挙を迎えてしまった

――分かりました、話を変えましょう。では、次世代の党の惨敗について聞きたい。中田宏という政治家の存在意義とは、横浜市長という首長経験を生かして、現代に全く合わなくなった統治機構改革を成し遂げることであると認識している。ところが、次世代の党は東京の選挙区に田母神俊雄さんを立てたりと、統治機構改革よりもイデオロギーを重視しているように思えた。結果としてそれがマイナスの方向に出たのではないか?

中田 次世代の党としても、統治機構改革を打ち出していた。ただ、他党との差別化で、イデオロギー的な方を前面に出そうという声の方が大勢だった。その部分が、メディアを通すことによって、より強調された。

――つまり維新の党との差別化。

中田 差別化した方がいい、というのが次世代の党の判断だった。ぼくはこの方針には反対だった。というのも、これまでの日本の土壌を鑑みれば、余程練った表現でなければ、正論が正論として受けいれられない。それよりも、今の日本に必要なこと、短中期的に言えば、総選挙の後、何に手を尽くすべきなのか、具体的な経済政策、統治機構改革、行政改革を訴えるべきだと党内で発言してきた。政治で大切なのは物事を現実にしていくこと。イデオロギー的な面が強調されると、国民の関心事を疎かにしているように受け取られてしまう。

――次世代の党は、党首が平沼赳夫氏ということもあり、かつての「たちあがれ日本」を想起させ、古色蒼然たる印象をぬぐえなかった。

中田 (旧)維新の会の分党時に、私は石原(慎太郎)さん、平沼さん、藤井(孝男)さん、園田(博之)さんの四人と個別に会い、若い人が全面に立ってやる党にしましょうという話をして、それぞれに了承を得ていたが、党の立ち上げはこの布陣でという感じだった。ところが、党が若返る前に総選挙を迎えてしまった。

――今後の活動予定を教えて欲しい。

中田 ここ川崎で活動をしていく。解散直前から選挙期間中まで必死で動いたつもりだったが、急な選挙だったため、選挙前に地元の人たちから深い理解を得られるまでにはなっていなかった。まずは選挙でご縁が出来た人たちに挨拶していきたい。

また、中田宏という政治家、あるいは社会運動家を一回リセットするいい機会だとも思っている。パソコンで言えばOS(オペレーションシステム)を入れ替えるいい機会。国会議員をやっていると、国会等で追われて時間がなかなかとれない。今回は政界以外の人にも話を聞いて行きたい。その意味では自分を原点から考える、最後のチャンスだと思う。

――一昨年、四八歳になったとき、六〇歳までの次の一二年を一区切りとして考えたいと話していた。自分に残された時間というのは意識するか?

中田 もちろん。横浜市長の時も言っていたが、時間的な区切りをつけて物事を進めていくことは大切。そしてもう一つ、日本に残された時間というのもある。

――日本に残された時間とは?

中田 日本を根本的に変えたいという思いは変わらない。変えたいと思って政治家を二〇年以上やってきた。ただ、日本という国の体力がいつまで持つのか。根本的に変える時間は残っているのか、それよりも少しでも現実を前に進めなければならないのではないか。その辺りを落ち着いて考えてみたい。

――現実を前に進めるといえば、かつてあなたが特別顧問を務めていた大阪の「都構想」は膠着状態に入っている。もう一度、橋下徹市長のところで、大阪都構想を手伝う考えは?。

中田 漠たることを言えば、都構想の実現のために尽力したいと思うし、その可能性がないわけではない。ただ、現時点で具体的な話はない。

――大阪都構想についてはどうすべきだと思うか?

中田 橋下市長と議会の関係など、掛け違えたボタンは元には戻らないだろう。その中で住民投票に全力を挙げていくしかない。大阪府民、大阪市民に対して、なぜ大阪都が必要なのか説明していくことに尽きる。

ぼくも横浜市で経験したが、政策の中身、その良し悪し以前に、好き嫌いの力が働いてしまう。つまり、大阪都構想の賛否より前に、橋下さんが嫌なので大阪都構想を進めさせたくない。〝反橋下〟〝嫌維新〟という感情レベルの判断だ。先ほど話に出た、政治の世界での憎悪は乗り越えていかなければならないのだが。

――衆議院議員ではなく、どこかの首長をやるという考えは?

中田 今の段階では考えていない。年末年始、つらつらと考えてみても、日本社会がいい方向に進んでいるとは思えない。それに対してどうアプローチしていくのか、何が効果的なのか。そして、自分自身の特性や残り時間を考えて判断しなければならないと考えている。

(一部敬称略)
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構成・田崎 健太 (ノンフィクション作家 http://www.liberdade.com)