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いささか旧聞に属するが、この『増刊中田宏』では先月一七日に行われた大阪の住民投票には触れなければならないだろう――。
中田宏が〈大阪市における特別区の設置についての住民投票〉の投票結果を知ったのは、会食から戻る車中だった。
前回の『増刊』で中田は、〝日本人には変わりたくない症候群〟があることを指摘した上で、住民投票で賛成か反対か突きつけられると事情は変わると分析していた。ところが結果はご存じのように僅差ではあったが、否決である。
(変わりたくない症候群がここまで強かったのか)
中田は思わず溜め息をついた。
大阪都構想を推し進めていた『大阪維新の会』の議員には中田が推薦した人間もいる。中田がねぎらいの電話を入れると、彼らはこんな感想を口にした。
――反対派の人たちは次々と新しい反対の理由を持ち出してくる。しかし我々は大阪都構想のメリットを四年間言い続けてきた。こちら側としては当然のことながら目新しいものはない。
――「大阪市が一度なくなると戻せない」という言葉が効いた。
特に後者が決定的だったという。
中田は改革には失敗がつきものだと考えている。
「改革は、全てが成功するわけではない。やってみて駄目だったら元に戻すこともありだ。改革の失敗は決して恥ずかしいものではなく、人類の教訓になる。だが、一旦大阪市を無くしてしまえば、元に戻すのは難しい」
自分たちの生活が変わるという漠然とした不安を持つ有権者に、元に戻ることはできないという脅しは有効だった。
そして中田は住民投票で敗れた理由がもう一つあると指摘する。
「府と市、あるいは県と市、なぜこの体制では駄目なのか言える当事者が少なすぎる。大阪府と大阪市の役人でも、デメリットをはっきりと感じているのは一握り。もちろん彼らはそれを口にすることはない」
横浜市長を務めた経験を持つ中田はその〝一握り〟の人間である。だからこそ、大阪都構想に賛成してきた。
「私が横浜市長になる前、神奈川県知事と横浜市長が日ごろからコミュニケーションを取ることはなかった。いや、それどころか反目していたとも言える。ぼくが横浜市長、松沢(成文)さんが神奈川県知事のときは、その壁が初めて壊れた。二人は連絡を取り合ったが、解決できない問題があった。大阪でも府知事と市長が話し合えば何でも解決できるなんていうのは幻想」
例えば――と中田が例に挙げたのは、神奈川県と横浜市の水道事業の統合である。
大局的な視野に立てば、両者を統合した方が効率が良いことは間違いない。
「横浜市の水道局は私が市長に就任してからコストを見直して黒字化していた。しかし、神奈川県の水道事業は赤字。合併すれば、横浜市が赤字の穴埋めをしなければならない。それは当然、本来横浜市に向けるはずの予算が使われるため、設備更新などの業務が遅れる可能性がある。横浜市長は横浜市民のために最良を求めるのが責務。残念ながら、横浜市側としては受けられない話だった」
横浜市長、神奈川県知事はそれぞれ有権者に対する責任がある。二人が話し合うだけでは、到底解決できない問題なのである。

政治家の〝今日的責任〟とは――

住民投票の前日の十六日、中田は私用で大阪にいた。夜まで時間があったので、ふと橋下徹の演説を聴きに行くことにした。中田は演説の終わった橋下に声を掛けている。
中田は有権者に〝変わりたくない症候群〟がある中、住民投票まで良くこぎ着けたと話をした。
「水飲み場まで連れてきたのだから、何とかなりますよ」
中田の楽観的な言葉に橋下は「いやー今回はきついです」と渋い顔をした。
翌十七日、住民投票で大阪都構想が否決された後、橋下は記者会見に臨んでいる。紺色のスーツを着た橋下は席に着くと一瞬笑みを浮かべた。憑きものが落ちた、というような表情だった。
「僕が打ち出したこの大阪都構想、間違っていたということになるんでしょう」
そして投票前から表明していたように今年十二月までの市長任期を全うし政界を引退すると語った。
中田はこの記者会見を自宅の居間のテレビで観ていた。そして、大阪市特別顧問を務めていた頃、タウンミーティングで話したことを思い出していた。
「橋下徹というのは乱暴な物言いもあるかもしれない。嫌う人もいるかもしれない。彼は今、目の前にある借金と向き合って、将来に対してツケを減らし、後の世代が活力を持っていける社会を本当に作ろうとしています。そのために、補助金を削り、民営化を進めた。もし、彼がいなくなったら、もったいないことをしたと後から後悔しますよ。橋下徹の価値は、彼を失ったときに初めてわかります」
中田は政治家の〝今日的責任〟をこう定義する。
「恙なく任期を過ごすことは、法律的な責任を果たしたに過ぎない。任期を安易に過ごせば、借金を増えて行く。次の世代によりよい社会を残すため、どのように動いたのか、何を変えたのか、それが政治家の今日的責任である」
その意味で橋下徹は、今日的責任を果たそうとした政治家だった。彼が言葉通り、政治から完全に離れるのは、あまりに惜しい。中田はそう考えている。

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構成・田崎 健太 (ノンフィクション作家 http://www.liberdade.com)