中田宏チャンネル_170321_#450_横浜市長選挙

私が市長を務めていた横浜市の林文子・現市長の任期は8月29日が満了日で、横浜市選挙管理委員会は市長選の日程を7月16日告示・7月30日投開票と発表しました。

3/15の東京新聞は次のように報じています。
「横浜市長選は戦後、春の実施だったが、中田宏氏が二期目途中の夏に辞職したため、二〇〇九年と一三年は八月告示、投開票だった。」

横浜市長選の投票率推移は市選管のウェブサイトに掲載されています。

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統一地方選挙として他の自治体と同時に行っており昭和22年こそ55%でしたがその後の投票率は60%台以上で推移していました。
しかし投票率がガクッと下がったのは昭和53(1978)年でこれは飛鳥田一雄市長(当時)が辞職したためで、同じ春ではあるものの市長選が単独で行われることになり、以降は投票率36%を皮切りに30%台となりました。
私が初当選した平成14(2002)年の選挙では「なんとか投票率40%を超えよう」とも頑張りましたが結果は39.35%で、平成18(2006)年の2期目の選挙では35.30%でした。
「投票率が低下している」と言われて久しいですが、横浜市長は昭和53年から=約40年も前から30%台の投票率で選ばれてきています。

さて、私は平成21(2009)年、2期目途中で任期満了の約半年前に市長を辞任しましたが、その後の市長選の投票率はグラフのとおり68.76%に上がっています。
投票率が跳ね上がった理由は、衆議院の第45回総選挙と同日だったからと思われます。

私は当初から市長職は“2期8年まで”と公言してつとめていましたが、その間に「どうやって次の世代に繋げるか」を考えて市政運営と財政健全化に取り組みました。
その上での任期満了半年前の辞任でしたが、仮に衆院選と無関係の単独選挙だったら恐らく投票率はまた30%台で、かつオール与党=議会が市長(候補)を担ぎ上げる”相乗り”の状態になっていたでしょう。
私はそれを懸念して衆院選と同日になるように辞任しました。
結果的に投票率は68%に上がり、かつ衆院選と同日のため自民と民主、与野党が手を組めず相乗りできない状況で市長選が行われて林文子・現市長が選ばれました。

悩みに悩んで任期満了半年前の決断でしたが、途中辞任については「あのバカ、辞めやがって」とだいぶ批判もされました。
常に「首長の辞め時」は悩みでしたし、その決断も辛いものでした。

皆さん、やはりいついかなる選挙でも、投票には行きましょう!


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