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11月20日に放送された読売テレビ系列『そこまで言って委員会NP』(一部地域を除く)で私が発言した内容に対し、Twitter上で「ひどい」という意見が出ています。この意見に対して私は「ひどい」と言いたいです

私が番組で発言をした議論は、どのようなテーマだったのかというと、「沖縄ヘリパッド移設問題の闇(沖縄の闇)」です。
この中で沖縄県の米軍施設建設現場付近で機動隊員が抗議活動をしている方に「土人」発言について議論しました。そのなかで、私はヘリパッドの移設問題や普天間基地の辺野古沖への移設問題について触れました。

新しい基地を建設するのではなく、今ある基地をどのように有効利用するのか」という趣旨の発言をしたところ、それに対してTwitter上でこのようなツイートが拡散されました。

 

twitter発言

このツイートをした方、リツイートした方は何がひどいのか理由を明らかにして欲しいと思います。 

事実関係を押さえるために簡単ではありますが、これまでの経緯をおさらいをします。
普天間基地問題の辺野古沖への移設問題についてです。
平成7(1995)年、沖縄県に駐留する米兵による不幸な少女暴行事件が発生しました。 それ以前から歴代内閣も沖縄の基地負担を軽減させることは考えられていましたが、このとても悲しい事件もあり、返還運動がさらに加速することとなりました。

その後、複数の基地返還は合意をしました。その中に沖縄県宜野湾市の普天間飛行場も含まれています。

普天間飛行場は人口密集地で飛行機が離着陸を繰り返すため世界一危険な空港と言われていました。この飛行場の移転先には、沖縄県名護市にあるキャンプ・シュワブの辺野古沖に滑走路を作ることで合意となりました。

民主党政権時代には鳩山由紀夫・内閣総理大臣(当時)が「最低でも県外」と、日米合意をくつがえす発言をしますが、鳩山総理(当時)はこの問題について勉強をしてみたら「やはり…」と、最終的には元と同じ辺野古沖に決定しました。

ヘリパット問題についてです。
平成8(1996)年にSACO最終報告で沖縄県国頭郡の国頭村と東村にまたがる米軍・北部訓練場の総面積のうち半分以上の約51%を返還することとなりました。

その返還の条件として、基地にある7つのヘリパッドのうち、6つを残る区域に移設することとなりました。ヘリパッド問題はこの移設に対して起きています。

「今この瞬間、すぐに沖縄から基地をゼロにするんだ!」と言う人たちが反対するのはわかりますが、冷静な議論をするならば、既存施設の基地に機能を集約しながら返還していく流れを前に進めるのは非常に重要なことです。

これは新基地建設ではありません。「新基地建設だ!」などと言っていると世の中の人は誤解してしまいます。 私はこのことを正確に指摘しておりますが、それについて「ひどい」と言われることに対して私は「ひどい」と言わざるを得ません。

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