中田宏チャンネル_161014_#344_死刑制度

10月6日、日弁連(日本弁護士連合会)が死刑の廃止を目指す宣言を採択しました。
世界的に死刑は廃止の流れになっていることが背景にあるとみられ、確かに世界各国のうち約50%は死刑を廃止しており、更に残りの約半数が事実上死刑を過去10年間行っていないそうです。

日弁連は、弁護士が活動をする上で必ず属さなければいけない法律上の組織です。
所属必須の組織である日弁連がこうした宣言をして良いかどうかの議論もあるでしょう。

また、小説家でもある瀬戸内寂聴さんがこの関係するシンポジウムでビデオメッセージを寄せ「殺したがるばかどもと戦ってください」と語ったことも話題になっています。
「人間が人間の罪を決めることは恥ずかしい」
とした上で
「人間が人間を殺す事は一番野蛮な事」
「みなさん頑張って『殺さない』って事を大きな声で唱えて下さい」
「殺したがるばかどもと戦ってください」
といった発言したそうです。

瀬戸内寂聴さんの発言に対して遺族やその団体からは批判が相次ぎました。
私は、遺族が死刑を求めざるを得ない感情を抱くことを理解できますが、皆さんはいかがでしょうか。

昨日のブログ『【コロンビアのサントス大統領がノーベル平和賞を受賞】コロンビア議連・前事務局長として祝意。平和で安全なコロンビアをまた訪れたい!』でコロンビアについて触れましたが、コロンビアで和平合意すべきかの国民投票が否決されたのも、国民、特に被害を受けた遺族からすれば「ゲリラを許すな」「身内を殺されたんだ」という意識があったからでしょう。

10月13日『【コロンビアのサントス大統領がノーベル平和賞を受賞】コロンビア議連・前事務局長として祝意。平和で安全なコロンビアをまた訪れたい!』
http://nakada.net/blog/7190

かつての日本、中世武士文化の時代には仇討ち(敵討ち)、“やられたらやり返す”ことが許さされていました。
特に自分の尊属(そんぞく)=祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族の仇討ちをするのはむしろ美徳とされていたようです。
江戸時代は幕府が取り締まる仕組みに変わりましたが、取り締まりきれなかった者に対しては被害者側が仇討ちをすることを幕府も認めていました。
そして明治時代に入り「復讐ヲ嚴禁ス」という敵討禁止令が出され現代に繋がります。
いま仮に日本で死刑を廃止すれば遺族に「代わりに殺しに行く」という気持ちが芽生えることは十分にあり得ますし、実際に行動する人も出てくるかもしれません。

瀬戸内寂聴さんは宗教家として人が人を殺めることに対する思いや「死」については我々とは異なる突き抜けた死生観をお持ちでしょう。
一方で死刑制度は法として制度化されたものでもあります。
死刑制度は大変に難しい問題で、存続と廃止どちらが正しいという議論ではないでしょう。
瀬戸内さんの主張を宗教的に伝えていくのであれば、仏教などの宗教における“人の死生観”を広めることで多くの賛同者を得ていくことが重要なのではないでしょうか。
遺族は「人を殺したい」と思っている方々では決してありません。

確かに死刑廃止という世界の流れもありますが、“だから日本も“というのは違います。
「あなたは・私はどう考えるか」まさに国民的議論が必要です。

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