たかまつななちゃんと

今回から3回、たかまつななさん(23才)との対談をお送りします。

たかまつななオフィシャルサイト

中田宏 ゲストはたかまつななちゃんです。
「ナナ」という名前は、かつての係争相手と同名ですが、ところでたかまつななちゃんは横浜市民なんですね?

たかまつなな そうなんです。磯子区出身です。

中田 ゆずの北川悠仁くん(歌手)と同じですね。
なんでも私がななちゃんに影響を与えたことがあると聞きましたが?

なな そうなんです、スゴイ大きい影響を受けました!
ずっと政治に興味があったので政治家になろうかなと考えていたこともあったんですが、中田さんの著書『政治家の殺し方』を読んで、絶対に政治家になるのはやめようって思いました。

政治家の殺し方

中田 そういう影響の与え方っていうのもあるんだね。
私は『政治家の殺し方』世の中の構造について書きたかったんだよね。
世の中の人は利権構造についてうさんくさいと感じていて、変えて欲しいって思っているわけだよね。
それを変えるとどういうリアクションが社会で起こるかということを書いたんだけど、これが結構売れたんですよ。
20万部。

なな そうだったんですね。
フェリス(女学院高等学校)時代にもかなり話題で、回し読みしてましたよ!

中田 女子高生が教室で僕の本を回し読み?それは嬉しいね。
横浜市長だった平成14(2002)年~21(2009)年は、ななちゃんは小3~高1だったわけだけれども、その時の横浜市政でなんか印象に残っていることある?

なな 「ゴミ」ですね、G30です。
給食の時に毎回歌が流れたんですよ。
※G30=全市のごみ排出量を13年度に対し30%以上削減する減量・リサイクル行動

中田 G30!

中田・なな ♪~いいね、よこはま いいね、G30(ゴミゼロ)~♪

中田 G30の歌、歌えるんだ~ありがとう!
ちなみにこの曲はカラオケに行くとクレイジーケンバンド『いいね!横浜G30』で入ってるんですよ。
僕は先週歌ったばかりです。
当時、横浜市って日本で一番ゴミを分けてないところだった。
なんでも一緒に捨ててよかった。

なな そうですか?横浜ってゴミに対して積極的なイメージなんですけど。

中田 それは私が市長になって、平成17(2005)年にゴミの分別を始めてからですね。
日本の大都市の中では一番厳しくなった。

なな そういうイメージですよ。
横浜は厳しくて、今でも東京でゴミを捨てるとすっごい楽だなって思います。

中田 ぶっちゃけ文句しか言われなかったよ。最初はね。

なな 何でですか?

中田 市民からは「そりゃあ面倒だ」って。
行政サービスの低下だって議会でも言われたんだから。
だけど結果としてお金がものすごく浮いたんです。
7つあった焼却炉が4つになったんだけど、3つ減った事で年間50億円も要らなくなったんだからね。

なな そんなに!かなり浮かせられたんですね。

中田 相当浮きましたね。
行政改革の1つで、市民に協力してもらってできたことです。
他に当時の横浜市政で思いつくこと何かありますか?

なな Y150(横浜開港150年博覧会)ですね。

中田 これも文句しか言われないね。
Y150の印象ってどんな感じかな?

なな ものすごく盛大にやっていたイメージです。
横浜の開港150周年!っていうので。
ただ、私の聞く限りだと市長が悪かったと。。

中田 あれはね…開港50周年では横浜市開港記念会館を建設して、開港100周年ではマリンタワーを建設して、それで150周年では『次は何を作る?』というしか議論がなかったんです。
でももうハコモノはやめようと、ハードウェアではなく横浜の歴史を遡るようなソフトウェアイベントにしようとなって官民一体の実行委員会を作った。
特に有料会場でお金を取るところは行政がやっても絶対失敗するんだからと広告代理店にイベントをやってもらったんだけど、それが大失敗してお客さんが入らなかったから「中田のバカ」とかいろいろ言われちゃった。
有料会場以外にも無料会場もあったしそもそもソフトだし、赤字赤字って言うけど何をもって赤字と言うのか?というのはあるんだけど、でもまあ失敗も成功も含めて時の市長は責任あるっていうのはその通りだと思います。
それにしても、そんな時からななちゃんは政治に関心を持っていたんだね。

なな はい、政治にはすごく興味あったので。

中田 なぜそれが今のななちゃんに繋がったのか?
それは次回お聞きします。

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