中田宏チャンネル_160318_#204_羽田

来週、羽田空港から台湾に行きます。

羽田空港国際化についてはいろいろな思いがあります。

平成21(2009)年に国は真の羽田空港国際化を決めましたが、それまでずっと必要性を訴えていました。
平成14(2002)年に横浜市長に就任後、国土交通省から国際化事業費を横浜市も拠出するように言われた時には「冗談ではない。なぜ国の空港に地方自治体の横浜市が」と押し戻しましたが、結局平成15(2003)年にお金を貸し付けることとしました。

東京都・神奈川県・川崎市・横浜市の4都県市共同の貸し付けでしたが、国は2000km圏内(羽田発着の国内線で当時一番長かった東京・石垣間の距離)を目安として国際線を整備するとして、これ以上は未定との態度でした。
しかし資金貸出はさらなる国際化が条件と決めていましたので、平成17(2005)年2月に『羽田空港国際化こそ日本再興のカギ』という論文を中央公論に書き、国に迫りました。

200502中央公論_1P

それでも国は煮えきらず、翌平成18(2006)年に再度『羽田空港の真の国際化実現は日本再興のラストチャンス』という論文を同誌に執筆したほどです。

200609中央公論_1P

両論文の主旨は、東京や横浜など首都圏にとって成田が不便だから羽田空港国際化なのではなく、海外から来る人にとって今のままではだめだ、ということです。
当時すでに「ビジット・ジャパン」という言葉も出始めていました。
日本を訪れて観光するのもビジネスで国際会議に出るのもメインは東京というなかで、成田からリムジンバスで2時間前後かかってしまう環境では話しにならず、日本はせっかくアジアの経済発展を取り込める地政学的なポジションあるのにこのままではだめだ、と言い続けたのです。

これでも国土交通省は決断せず、2度目の論文の翌年、平成19(2007)年の年度末に横浜市は国への貸付金24億円をストップさせました。
自治体は単年度予算なので年度をまたぐのは本当に大変な作業でしたが、平成20(2008)年まで国への貸付を留保する決定を下したのです。
同年6月にようやく国がそれまでの「2000km圏内」の条件を取り外し、今や東南アジア・ヨーロッパ・北米にまで羽田から行くことが可能になりました。
国内から便利にことももちろんですが、外国から来日する人が増えていることは、国と闘って本当によかったと思っています。
詳しい経緯は著書『改革者の真贋』(PHP研究所)に書き綴りしましたから、お読みいただければ幸いです。

改革者の真贋

来週、羽田空港から台湾に行って馬英九・総統とお会いする予定です。
実は馬総統は初めての総統選で台北・松山空港と羽田間に国際定期便を飛ばすことを公約に掲げていました。


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