そして父になる

本ブログは映画作品の内容に触れています。ご注意下さい。

 昨年ヒットした『そして父になる』(是枝裕和監督)という映画を最近観ました。福山雅治の好演が話題になった映画でしたが、家族のあり方をとても考えさせられる内容でした。

 タイで20人とも言われる子どもを代理出産させた日本人のニュースを見て、この映画を思い出しました。代理出産についての是非もある中で、これだけの子どもを人工的に設けることは、生命倫理という点からも家族観という点からも、私の理解の限度を超えています。

「そして父になる」では、果たして、親子とは血の繋がりなのか、それとも一緒に過ごした時間なのかと考えさせられます。
 映画は二つの家族の物語です。5年以上、我が子と思って子供を育ててきた、そもそもはお互いの存在を知らない二つの家族です。この二つの家族の唯一の接点は子供の出産が同じ病院だったということ。その病院から、我が子の小学校入学前のある日、出産時に子供の取り違えがあったという電話が入ります。

 一方は、大会社に勤める会社員の野々宮家で、その息子は私立小学校に入学が決まった一人っ子の慶多。もう一方は、群馬の田舎で電器屋を営む斉木家で、その息子は弟と妹もいる琉晴。それぞれの父親は対照的で、子供を顧みずに出世を目指してきたのが野々宮良多で、子供と一緒に凧をあげ一緒にお風呂に入ってきたのが斉木雄大です。

 ”取り違えがわかった以上、早い方がいい”ということで、小学校入学後に、慶多と琉晴は本当の両親と暮らし始めます。野々宮家では、父・良多が琉晴に「英語を勉強する」「TVゲームは日に30分まで」などと論理的に教え込もうとしますが、その一つが「(良多夫妻を)パパとママと呼ぶ」というものでした。ところが、いきなり「パパ」と呼ぶようにと言われても、琉晴は「何で?」と素直に反応します。「何でも」と良多は答え、それでも「何で?」と問い続ける琉晴に父は「そのうちわかるさ」と論理的に答えられなくなってしまいます。
 一方、良多の妻は、琉晴と一緒に暮らし、子供に寄り添おうと努力する中で琉晴を抱きしめ、逆に抱きしめられるうちに、本当の息子である”新しい息子”が可愛くなってきます。そして、育てた息子である慶多に「申し訳ない」と涙をこぼします。

 血の繋がりなのか、過ごした時間なのかと天秤にかけてみても、そもそも単純な結論など出るはずもないテーマです。当然のことながら、血のつながりも大事だが、共に過ごした時間とその中身があってこそ親子になっていくのだと思わされます。
 舞台設定は実にリアルだし、とても丁寧な表現・演出も見事で、秀逸の日本映画でした。