20150806_#052

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70年前の今日・8月6日に広島で人類初の原子爆弾が使用され、多くの方がお亡くなりになられました。
一説に14万人という本当に多くの方々の命が一瞬のうちに奪われた原爆の悲惨さは語っても語り尽くせません。原爆資料館などに足を運んでみても、本当は、表現できないような・展示できないような悲惨な光景が広がっていたんだろうと思わざるを得ません。
後遺症を患っている方もおられ、こうした非人道的な兵器をどうにか世界から減らし根絶させたいと願っています。

一方、現在の国際情勢では、原子爆弾のような大量殺戮兵器を保有することで、現実には原爆が「ある種の」抑止力として働いて今の世界秩序を保っているということも否定できません。
このようななかで原子爆弾を減らしていくことに人類の英知を絞るという困難を私たちは乗り越えていかねばならないのです。

さて、時々議論になる言葉があります。
広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の碑文です。
碑文には、
「安らかに眠って下さい
過ちは
繰返しませぬから
と刻まれています。
これは誰が誰に言っているのか。

戦争がこの悲惨な事態を招いたことは疑う余地はありませんが、だからといって、単に日本の非を謳っているとすれば、違うと私は思います。
日本人は「反省を常にする国民性」でそれは否定しませんが、原爆という非人道的な兵器を使ったのは日本ではありません。アメリカです。
東京裁判(極東国際軍事裁判)で判事を務めたインドの法律家・パール(ラダ・ビノード・パール)氏は1952年に広島に来て、この碑文を見て次のように言いました。
「過ちは繰り返しませぬからとあるのは、無論日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭である。落としたものの手はまだ清められていない…」
このことを私たちは見識として、しっかりと刻んでおく必要があると思います。

戦争の悲惨さについての自己反省は、私たち全員がすべきでしょう。これからも教育などにおいて我々は持ち合わせていく必要があると思います。
ただ、この非人道的な兵器を、軍事施設でもない、兵士でもない子どもやお年寄りや女性、とにかくそこにただ居ただけの市民14万人に向けたのは、アメリカです。

私は日米同盟は今日的に重要な条約だと認識しつつ、こうしたけじめだけは日本人として持っておく必要があると思います。


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