978-4898316955

 先日、呉善花さんの『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか』(WAC BUNKO)を読み、私たちのふだんの言動が、海外の人たちから見るといかにユニークであるか、思い知らされました。

 例えば、日本語にしかない受け身の話法。
「先生に叱られる」
「社員に嫌われる」
「お先に帰らせていただきます」
「頑張ってもらいたい」
 こういう言い方は私たちが当りまえのように使っている話法ですが、日本人以外のほとんどは相手を主語にした能動的な表現をするそうです。
 また、呉さんは来日した当初、自然崇拝をしているのに先進国になっているということも不思議だったそうです。韓国は儒教(朱子学)の国ということもあり、日本でいう神々を「鬼神」とか「怪力乱神」と言って、徹底的に批判し排除してきたというのです。先祖以外のものを拝むのは未開人だという理由です。しかし、日本は世界でも最先端の科学技術を誇る国になっています。自分が学校で教えられたことと実態があまりにも違い、戸惑いを覚えたそうです。
 私たち日本人は、自然のあらゆるものに神が宿っているという感覚を当たり前のようにもっていますが、科学技術の進歩と両立させたことは世界でも類例がないということを知るべきなのでしょう。

 ところで、近年、日本国内での凶悪犯罪が増え、「もはや安全神話は崩壊した」と思っている人が大半だと思いますが、呉善花さんはこの点についてもユニークな見方をしています。
 OECD34カ国中、日本の犯罪発生率は下から2番目です。強盗・強姦・暴行は最下位、殺人は下から2番目です(2012年版「OECD諸国の犯罪白書」)。日本の犯罪発生率が最下位ではないのは、自転車泥棒が計上されているためだと呉さんは指摘しています。その盗まれた自転車も大半は持ち主に返っているそうです。
 ここで面白いのは、世界的に見て最も治安の良い国でありながら、国民の意識はそうではないということです。「10年前より安全な国でなくなった」と考える日本人が86%に達し、この数字は犯罪発生率の高い欧米のそれよりもはるかに高いのです。
 たしかに「犯罪白書」の年次統計を見れば、日本の犯罪件数が減少傾向にあることがわかります。事実、自分の身の回りで危険を常に感じている人は多くはないでしょう。これには、凶悪犯罪がメディアで大きく取り上げられるなどの影響があると思いますが、要するに実態と意識の乖離が甚だしいと呉さんは指摘しています。

 江戸時代の人たちは防犯意識をまったく感じていなかったということにも触れていますが、それを読み、最近の集団的自衛権行使容認への理解が進まないことの遠因ではないかとも考えました。
 明治初期に来日した外国人は、そこに財布があっても誰もとろうとしない、鍵やかんぬきもかけないという「無防備な生活態度」を見て、仰天しているのですが、「他者を絶対的に信頼する」「自分が善人であれば、周りも善人だ」という日本人独特の感覚は、遺伝子レベルでいまに受け継がれているのではないかと思うのです。
 昨今、わが国を取り巻く安全保障体制の再整備は喫緊の課題だとも言えますが、先般の集団的自衛権行使容認に関する騒動を見ても、外国からの脅威は皆無だとの前提があるからこそ、成り立つ論争でもあるのでしょう。あるいは、脅威があったとしても、自分たちが善意を示せば事なきを得られると思い込んでいるふしがあります。
 もちろん、人を信用することは大切なことです。しかし、どんな人にも善意と悪意があるという冷厳な現実を無視したまま、自分たちだけの「思い込み」でわが国の領土と国民の生命・財産を守れると思っているとしたら、やがて取り返しのつかないこととなるでしょう。
「備えあれば憂いなし」
 先人の言葉をもう一度反芻し、自分たちの国は自分たちで守るという責任ある意識を取り戻すべき時期だと思います。