8月28日、羽田孜・元内閣総理大臣が亡くなりました。

総理在任は64日、現行の日本国憲法下で最短の内閣でしたが、当時1期2年目の衆議院議員であった私は首班指名で「羽田孜」と投票しました。

20000130
(平成12(2000)年)

さかのぼると、平成5(1993)年、自民党・宮沢喜一内閣が「政治改革」で解散総選挙を行いました。
私が初当選する選挙ですが、自民党で政治改革に並々ならぬ思いがあった羽田さんは衆参43人の国会議員を率いて離党、そして選挙後の非自民連立政権・細川護煕内閣につながり、政治改革関連法を成立させました。
衆議院の小選挙区制度の導入や政党助成金の創設などで、中身は今でも賛否両論ありますが、その後、細川総理が辞任して誕生したのが羽田孜・第80代内閣総理大臣です。

しかしすでに「政治改革」そのものの求心力は薄れ、羽田内閣は最初から「少数与党」でスタートとなり、2カ月後に自民党は内閣不信任案を突き付けます。
採決をすれば可決=不信任成立となるため、内閣総辞職か解散総選挙を考えた羽田さんは悩んだ末に総辞職を選びました。
すでに小選挙区制は決まっていたものの、区割りそのものが整っていなかったため、もし解散総選挙を行うとそれまでの中選挙区で選挙せざるを得ず、羽田さんは自ら身を引く選択をしたわけです。

羽田さんは一貫して
「自民党だけではだめだ」
「政権交代可能なようにしなければならない」
「二大政党制にすべき」
と主張され、民主党の議員として活動され続けました。
いま現在の与野党では直面する国難のために政府与党に頑張ってもらう時ですが、中長期的には羽田さんの主張はまさにその通りで、健全な姿だと思います。

羽田孜先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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